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011105wadaa 和田明子
【米テロ・武力行使】 検証・見えない戦争 米テロから1か月 難民150万人発生予測の制約
「人道支援」へ移行策に
史上最悪のテロ事件に遭遇したホワイトハウスが出会った最大の「難敵」。ビンラディン氏らを除けば、それは大量の難民だった。攻撃によって150万人もの難民が国境を越えるという予想は、戦術上、米国の大きな制約となった。難民の存在は、爆撃とほぼ同時に食糧や医薬品を投下する「人道的」戦争という逆説をもたらした。
「アフガンの人々は友人だ」。テロから3週間あまりたった10月4日、ブッシュ大統領は3億2千万ドルのアフガン向け緊急人道支援を発表した。テロ直後の世論調査では、「相手国市民に犠牲が出ても攻撃すべきだ」という意見が7割もあった。それにこたえるように「かくまう国も同罪だ」と「処罰」を強調してきたトーンが変わった。
アフガン難民は89年まで続いたソ連侵攻末期に最大600万人を数えた。3年続きの干ばつもあり、テロ事件前の時点でも約360万人が国境の外にとどまっていた。
テロ事件で、また大量脱出の流れが起きた。周辺諸国は国境を封鎖したが、英国の調べでは2週間で、パキスタンに2万5千人がなだれ込んだ。(日本にも難民が逃れてきている。政府は補正予算で、国連機関などの難民支援活動に145億円を盛り込む方針で、テロ対策支援法案にも難民支援を掲げている。一方で、同時多発テロ後に難民申請中の9人を出入国管理法違反の疑いで東京入国管理局に収容した。9人は19日、収容の取り消しを求めて東京地裁に提訴した。またオーストラリアにも難民が逃れたが、政府が受け入れを拒否したため、太平洋の島国、ナウルに移動した)
この事態を見て、テロ直後、米国寄りの姿勢を示したイスラム諸国の中からも、「罪もないアフガン人が家を追われる事態をどう正当化するのか」(イランの最高指導者ハメネイ師)と軍事行動への反対論は勢いを増した。米国への全面協力を打ち出したパキスタンのムシャラフ大統領は「攻撃は短期間で限定的」と述べるなど、戦略上の制約も強まった。
戦争が長引けば、移動手段のないさらに貧しい層など、取り残された470万人が飢えに直面するとされる。地上戦となると、戦術上もアフガン市民や国内避難民の動向は無視できない。
米軍の食糧支援について考えたこと
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アメリカ軍がアフガニスタンの空爆の合間に、空から食糧を撒いている。アメリカ軍としては、食糧を空から撒くことで自分たちがいかに慈悲深いかをアフガン国民に知らせ、空爆によって断ち切られたNGOからの援助の代替えにしようということかもしれない。
だが、よく考えてみれば、敵から与えられた食べ物や水を、全く怪しみもせずに飲み食いする者があるだろうか。民間人であれ、兵士であれ、戦争ともなれば敵に対して徹底的に憎しみと不信を抱くように教え込まれるだろう。アフガンの人々もきっとそのように教え込まれているに違いない。食べ物や水は、単に物理的に人間にとって栄養となるというだけの存在ではないだろう。本当に人間がそれを口にするまでには、信頼と受容という前提が成り立っていなければならない。ばら撒かれたその食べ物が安全だと、一体誰が保障してくれるというのか。そのような基本的な問題をアメリカ軍はどこまで理解しているのだろうか。
そこには、自分が善意なら、他人もそれを無条件に信じてくれるものという思いこみがあるのかもしれない。だが、ひどく憎むアメリカがくれた食糧をそう簡単に信じて口にできるものではないと思う。
わたしの祖父母は、第二次大戦中樺太にいた。そのとき、ロシア軍たちが幅を利かせていて、近所の人もよく殺されていたのだという。もちろん祖父母たちもおびえきっていた。だがあるとき、あるロシア兵士が水と食べ物を差し出した。しかし、祖父母は決して水も食べ物も口にしようとはしなかった。「兵士がくれる食べ物や水には、毒がはいっている。そう信じ込んでいた」と祖母はわたしに言った。
援助するということは、施すことではない。まして、有無を言わせず食事を流し込むことではない。その当たり前のことが、いつになれば、理解されるのであろうか。強者が弱者を理解することは、絶望的に困難なのであろうか。